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AI時代に必要な力〜普通な私ができること〜旅育から始めてみよう

旅育

こんにちは!さなぎです🌼

私は、とても普通な人生を送っていて、かなり普通な人です。

ずっとこの「普通」にこだわって生きてきたような気がします。

小さい頃から、親に、「普通に生きるのが一番難しい」「普通でいるのが一番いい」と呪文のように言われてきて、

この「普通」を得るために努力をしてきたと言っても過言ではありません。

しかし、「普通」ってナニ??    ですよね。 

最近、二言目にはこの厳しい返答が待っていて、

「普通」という抽象的な言葉を使うには、色んな前置きを必要とするようになりました。

私にとっての「普通」は、

全体の平均値に一番近いところにいることだったり、

多数決をしたときには常に多数派に入っていたり、

多くの人が共感している部分にいたり、することです。

社会はこの平均的なものと合わせて需要や供給が行われているだろうし、

普通が生きやすいというのはある程度理に叶っているのかな?とは思います。

例えば既製服でさえも、平均的な体格に合わせて作られていることが多いので、

人並みから外れた体格だと苦労したりしますよね。

また私が生きてきた人生を振り返ると、この「普通」というこだわりというか、固定概念は、

学歴や、就職、結婚に至るまで支配されていて、

いつも「普通」というものさしに合わせて、たくさんの選択をしてきたように思います。

さてこんな良くも悪くも普通な私ですが、

普通に生きることが好きというのは、社会の流れに柔軟に対応することに努力したりもします。

親には親の苦労した過去があり、その過去を元に、私へ「普通に生きることの良さ」を教えてくれたわけですが、

時代は変わり、回り、良いとされる考えも変わり、

また自分が教えて貰った考えは通用しない時代へと突入して行くようです。

ずっと変わらないものもあるけど、変わっていくものもあるんですね

また自分の子供が大きくなる頃には、さらに違った変化があるのかと思うと、

教育の難しさという壁にぶつかりそうになります。

でも、それでもやっぱり「今」、「少し先の未来」を見据えて進んで行くしかない親も子供と一緒に成長過程です。

れからの日本の将来を見据えて必要な力とはこれからの日本が様々な困難に直面します。

例えば、素手の直面し一向に改善余地のない世界最悪の国の負債問題。

それが招く銀行封鎖のリスクや赤字を埋めるための国民の税金負担額増。世界で最初に日本が迎える超高齢化社会による影響から、国民の医療費の負担増や年金支給停止のリスクなど直接皆様のお金に関わる問題がこれから増々深刻化していきます。

日本という国、そして、日本国民は、薄い氷の上を恐る恐る歩いているのが今の状態です。

そこに追い打ちをかけるように、AIやロボットの進化により今まであった仕事が激減していきます。

つまり、これからは支出の負担が増える中で仕事も無くなり、所得や貯蓄が減る一方です。

現状で2割近い日本人が貧困層なのですが、この割合が近年増え、今後所得差が増々開いて生きます。

富めるものはより豊かに、貧しいものはより貧しく、そんな世の中がヒシヒシと迫ってきています。そんな状況の中で、勝ち組として生き残り、人生を豊かに送るにはどうしたらよいのか?生き残るためにはどのような力が必要になるのか?と真剣に考える時が来ています。

その答えは今回のテーマ「旅育」の中に多く含まれていると確信を持ってお伝えできます。

国や社会に頼り、国からもらえる援助や会社から支給される労働環境やお給料に頼ることは、近い将来を見据えた時には自滅を意味します。であれば、他者に依存することなく自立して生き抜く力が絶対に必要になります。その生き抜く力こそが「人間力」になります。

そしてこの人間力を養うのに最適なのが旅であり、親子で育めるものが旅育なのです。

人間の中には様々な要素あ含まれています。生き抜くための知恵、未来をクリエイトする想像力、人と対話するコミュニケーション力、未来を自分の力で切り開く行動力、変化に対応する柔軟性などなど。これらの力を身につけるには机上の知識ではなく、アクショnが伴う実体験が必須になります。

引用元:THE 旅育

「実体験」の数と種類が多いほど、「生きる力」「人間力」が磨かれるというのは当たり前だと思いますが、

現代社会での「体験の場」って減ってきているように感じます。

それは、「知りたい」という欲が、行動せずとも知れるという環境にもあるのかもしれません。

子供だけでなく、普通を掲げて生きていた親の私にも、「旅育」は色んな可能性を見せてくれます。

同書の中に、聞きなれない言葉「アンスクーリング」という新しい教育の形が述べられていました。

アンスクーリング」とは、教育を受けていないという意味ではなく、従来の学校に通わない、

あるいは、従来の学校に似たような環境で教育を受けていないという状態を指すようで、

この人間教育方法が世界中で広まっているというのです。

このことを聞いて、「それは意外!」とは思わないほどに、普通な私でさえも少しづつ意識が変わりつつあります。

子供自身が本当に興味を持つことを深く追求して行く手助けをする、子供の興味に基づいて行う教育

長男の通っていたモンテッソーリ教育も、近い考えのものがありました。

しかし、小学校という義務教育に突入し、私の知っている教育時代と同じような生活が始まった長男。

このままみんなと足並みを揃えているのが一番良いことなのかと、自問自答に陥る場面が多くあります。

正直私の小学校時代と比べると、子供の個性を大切にしてくれる校風だと感じるものの、

子供の主体性を尊重した教育スタイルとは、とても思えない環境です。

でも現実的な問題は理解できるし、文句を言うつもりはないのですが、大切な子供時代にもっと興味の幅を広げてあげたい!

「旅育はアンスクーリングでもある」

旅育もアンスクーリングも、子供の主体性を尊重し、実体験を通して五感で学びます。学校の先生でなく、塾の講師でなく、親御さん自身が子供の可能性を拓く大事な使命を担っているという自覚を忘れないでください。

引用 THE 旅育 

普通な私には、いきなり学校をやめるなんて提案はできないのですが、

また今のところ楽しんで通ってくれている小学校なので、この日常を変える予定はないのですが、

もし子供自身が疑問に思ったり、苦しむ時がきたときには、色んな環境の選択肢を用意してあげたいなと思います。

そして旅育という小さく始められる教育を通じて、親子ともに新しい世界も見れたら良いなと思います

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